アルゼンチンタンゴを長年やってきた。というか縁があって仕事が来るようになっていた。
日本のタンゴ業界は極めて演奏力が高い人の集まりで、最初はこんな音楽はわたしには向いてないと思った。そもそもジャズ出身、とりわけ自由を大切にするスタイルのジャズを身の上としてきた身にアドリブが歓迎されないこの音楽はあまりに落差があったし、自由を歓迎されない演奏はとても苦痛だった。
当時(2004年頃)バブルの頃は影も形もなく、もうライブハウスにお客はいなくて、飲み残したウイスキーのボトルが寂しげに並んでいるだけのあの頃、多くのギタリストがジャズではもうやっていけなくて、当時流行っていたブラジル音楽に流れた。わたしはあまりブラジル音楽を知らなかったし、若くて優秀なギタリストを肩を並べてもわたしが立てる場所はなさそうだった。そのときにタンゴという音楽があっちからやってきたのだった。
いいかイチロウ、タンゴと演歌はやるんじゃねえぞ、リズムが3年は戻らねえぞ。
自分の師匠にダメだしされたが、タンゴはジャズより実入りがよかったのと、ギタリストのライバルが当時ほとんどいなかった。というよりタンゴを専門で演じるギタリストがそもそもいなかった(タンゴも弾くクラシック奏者や仕事で頼まれてタンゴもやるギタリストはいた)そしてやっているうちに実はジャズよりもメロディが際立った佳曲が多いことに気がついて、徐々に惹かれていった。共演者はわたしなど足元にも及ばない凄腕レベルのプレイヤーばかりで勉強や刺激になったのと、それだけのプレイヤーなのに意外なことに音楽理論や即興性は脆弱で、アドリブはやろうとしないので、わたしの居場所が見つかった気がしたのも、その気にさせた理由だった。
頭で揃えるようなあの独特のリズムが実は裏から押し出しているもの、つまり南米の音楽特有のリズムの表裏がタンゴのリズムの中核にあることに気がつくと、そこから先は一種のアレルギーは出なくなり、苦痛だったタンゴの仕事は楽しいものになっていった。
名前は伏せるが、タンゴ業界の親分的なバンドネオン奏者と彼の家で話す機会があり、いろんなことを教わったあとに、わたしはこう宣言した。
まわりはすごい演奏家ばかりだけど、本国アルゼンチンでやっているような楽曲をコードから伴奏してその場で演奏するスタイルってまだやってる人いないみたいだから、わたしはそれならできそうだ。
今思うとちょっとこのハッタリ発言は後悔しているのだが、言ってしまったものはしょうがない。彼はもう覚えていないかもしれないが、男に二言はないというか、あとで言い訳するのも悔しいから自分のためにやっていくしかない。
そこから長い長い道のりをひとりで歩むことになった。なんといってもジャズ方面からタンゴに来る人はほぼいない、つまり共演者がいない。候補が現れたとしても、この複雑なリズムを持つ、独特の音楽は敷居が高く、南米音楽の多くがそうであるように、タンゴもまた好きにならないと身につかないタイプのものだったので、居着いてくれるジャズミュージシャンはほとんどいなかった。メロディ譜面や歌詞カードにコードが振ってあるジャズやポップスでは当たり前の演奏様式、これをポピュラースタイルというなら、タンゴは立派な南米のポピュラー音楽の代表なのに、日本では演じる人も楽しむ人もほとんどいないのが現状だ。
こんな素敵な曲たち、宝の山なのになんてもったいない…。
長い長い時間が過ぎて。
明日の演奏が新しい一歩になるかどうかはやってみないとわからないが、明日2023年1月28日の配信ライブ、これをご覧のタンゴ同業者のみなさん機会があったら(もう過去になっていたらアーカイブで)見てください。
ジャズ出身のギタリスト2人による、タンゴDUOです。ジャズに持ち込んでタンゴもやります的なものじゃない、ほんとうのタンゴ演奏をポピュラースタイルでやります。