タイトルは過去のわたしの意見というか、姿勢だった。癒やし?そんなぬるくて偽善の匂いのする音楽なんざできるもんかと肩で風切って斜めに構えていた。
この考えが揺らいだのは、7年前がんになったときだ。告知され、紹介状を手にして向かった決勝戦の場所は、国立がんセンター、ここでの入院体験を経て、わたしの考えは変わった。
癒やしというイメージをみなさんはどう捉えますか?仕事に疲れたときに聞く音楽?いやなことがあったときに慰めてくれる音楽?甘えさせてくれる音楽?眠気を誘う環境音楽?
私が寝泊まりしたこの病院は、全員ががん患者で、国立がんセンターはここ柏と東京の築地にしかないがん治療の拠点で、全国の病院から選抜された人々や、さじを投げられた人々や、治験という最後のチャンスを賭けにくる人々が集まってくる。
消灯後の空気はほんとうに独特だ。多分誰も寝てない。虎視眈々と全員が天井を見つめながら、がんとに打ち勝つことだけを考えていて、寝ている余裕がない、まさにそんな異空間だった。
この空間で、聞きたい音楽が、今書こうとしている、癒やしの音楽のようなもの?だ。
リズムは裏と表でできていて、これを上手に扱うと、聞く人を盛り上げて(鼓動して)いくことができる。グルーブとかスイングとか言うものの正体だ。これが、この現場すなわちがんセンター病棟では、必要ないのです。
だって、みんなもうギリギリまで頑張っているので、はいはいわかったよそういうのは間に合ってるよ。と。
これがわたしの体験だった。マイルスもピアソラも、正直言って消灯後の暗闇で、邪魔に感じて、とても聞いていられない。でも、音のない状態は、怖くて耐えられない。
耐えられたのは、クラシックギターだった。わたし毎晩セゴビアの演奏ばかり聞いていた。
あれはなんだったのだろう。
がんだけが病気ではなく、病気だけがつらいものではない。
いろんな意味で健常でない人は影に隠れてしまうことが多いが、たくさんいる。
不健康なことは健康だからできるのだ。
斜に構えて物を言うのは、相手が斜めじゃないからなのだ。
そう思うと、癒やし?何が悪いのだと思えるようになってきた。
入院時、まだセゴビアに行き着くまで、You Tubeで癒やしの音楽=ヒーリングミュージックとタイトルされた音楽を試してみた。なるほど、これはインチキだ。シンセで眠たくなるような長い音符を垂れ流しているようにしかきこえない、眠くはなるかもしれないけど、これは音楽ではない。
こういうのを私は癒やしの音楽と決めつけて、癒やしと言う言葉にアレルギーを起こして、忌み嫌っていたのかな。打ち込みではなく人がやっていたとしても。
音楽として寄り添うことを癒やしの音楽というのが正解なのかも。
もともと音楽というのは、楽という字がありきで、これが楽器を表す象形文字だったらしい。やぐらに太鼓が乗っているとか、バチを持った人とか、バチがなにかのお祭りのお飾りで、これが楽しい、楽、という効能、すなわち、楽器=>音楽=>楽しい、楽(らく)、音楽には楽=癒やしの効能がある、という語源らしいと何かで読んだことがある。
がんから復活して、5年経ったら、また意気揚々と音楽活動ができるかと思っていたが、5年後はコロナという未曾有の疫病の真っ最中だった。
おまけに昨年から、ヨーロッパで戦争まではじまってしまった。物価が高騰して、不自由な生活。
人の心は離れ離れで、毎日楽しくない日々がこう続くと、参ってしまう(のはわたしだけ?)。
いま多くの人は、リズムで鼓動されたいのだろうか。若い人はされたいかな。わたしは年寄りだし、こんな世の中で、イエーイ、盛り上がっていこうぜーって気には
全然なれない。
寄り添ってくれる音楽が、ほしい。
それをギタリストというわたしに置き換えると、寄り添える音楽を演奏して、心を共有させたい。
おかしい話だろうか。
若い頃、ジャズのライブは、ワンステージでバラードは一曲だけと教わった。リズムを武器とする音楽として、リズムでリスナーを参らせて、開いた心の隙間に得意のバラードをぶち込むのだと、これはマイルスの教えが元だと思うが、わたしの先生はそう教えた。
タンゴもまた強烈なリズムを持ち味とするもので、バラード自体があまりイメージされない音楽だった(たくさん名曲がほんとはあるのだけど)。
リズムの表裏の使い方を覚えると、聞いている人をその気にさせるのは、このテクニックを知っている者にとっては案外簡単で、どこにいっても通用する手法だから、いつしか、リズムありきなスタイルで、これが当たり前と思って演奏をしてきた。
で、今。災いまみれで、誰が見たってよくない世の中。
心に寄り添う音楽すなわち
バラードばかりの演奏があったっていいのでは?
心に寄り添って響くのは、リズムではなく、音色。そしてメロディだと思う。
そんなのジャズじゃない、タンゴじゃないと言われるなら、そのとおりかもしれないし、どんなものでも
癒やしの音楽でもいいと思う。
童謡でも昭和歌謡でもシャンソンでも素材が優秀ならいいと思う。
もちろん合奏はジャズもタンゴもブラジルものもスイングすれば楽しい。これより楽しくて快感なものはそうたくさんないぞくらい楽しい。他人同士がリズムの裏表を中心に音楽を創り合うんだから楽しいに決まっている。これは原理なんですね。魔力とも言えるけど。だからつい、自分たちが楽しいから聞いてる人も楽しいだろうという屁理屈を言いたくなるけれど、それとこれとは別なので、ここは誰のためにやってんのか、ということをブラさずにいたいところ。結局はこれか。
…。
わたしの問題は長年リズムを全面に押し出してやってきたものだから、空間の沈黙を耐え抜く勇気がどれだけあるか。ビビって音を増やしたり、リズムに逃げたり、やるほうはこれは癒やしなんて甘いもんじゃないぞこれは。
2023 6/28