どうでもいいはなし

プロかアマチュアか、そんな話にまた巻き込まれてしまった。

さあそれはあんたが決めれば?みたいに言うからつきまとわれるのだろうか。

食っていけないならアマチュア?と言いたかったらしい。

まあなんでもいいんですが。

わたしはね。

なんでこうか。

平日の昼でも堂々とギターを弾いていられるから。

言い換えれば、平日の昼でも演奏を頼まれたら引き受けられるから。

それと

白昼堂々と演奏ができる人って演奏レベルがすごくて、つまり自分より上手い人と演奏できるから。

だから今でもこう。

こんなもんです。

だからどれだけ上手いとかレパートリーがあるとか、音楽理論を熟知しているとか、基準として考えたことはない。それは相手が決めること。つまり仕事を依頼する側が判断すること。

だから自分じゃわかんない。

本音を言えばプロでもアマチュアでもどっちだっていい。いい演奏がいつでもできて、望まれる場所や日にちにそれが可能であればそれだけでいい。それが可能な人が世間一般でプロと認知されてる人だというだけのことだ。

昨今、現場で使い物にならなそうな「自称プロ」はゴロゴロいるし、逆にこの人のどこがアマチュア?と思うような感動的な歌や演奏ができる人もたくさんいる。そんな時代だ。事実はYou Tubeの動画とFBなんかでわかる人間関係で証明されていて、どんなに盛ったプロフィールを書いてもあっさり暴いてくれる。プロって言葉にしがみつかないと体裁を守れないレッスンプロ、音楽に身を投じることが家族や仕事の事情で叶わなかったけど音楽を捨てることができず、地方でずっと活動を続けてきた人。混在していて、もうどっちがどっちでもいいじゃんと思うのは、わたしのまわりに実際こういう人がいるから。

演奏は演奏がすべてで、いいも悪いも語ってくれるから、それでいいじゃん。

ニーズに合うことができる人がプロでしょ。ビジネスと捉えればこれはそのとおりかもしれない。

が。音楽はビジネスとは違うタイプのものもある。

絵描きが絵を描くように、陶芸家がろくろをまわすように、音楽を自己表現、芸術として捉え、活動している音楽家がいる。はい、ここにもいます。

ここを混同するから、ジャズは売れないだの、売れないやつや店は淘汰されて消えればいいだの、全く大きなお世話で心無い話が出てくるのだろう。

断っておきたいのは、わたしはお客さんが来なくたっていいとは思っていないし一言だって言ったことはない。心込めて創ったものを聴いてもらいたくてやっているわけだから。ただそれが必ずしも誰もがわかる安易な表現とは限らないということ、やりかたによっては安易でもいいかもしれないけど、安易で真実が隠れたり端折られてしまっては意味がなくなるからここは頑なになってしまうところ。それで面倒くさいと思われるなら、わたしはああそうですか、としか言えないし、言わない。(そもそも自分がやっていることが難解だと思ったことはない。)

昨今のジャズの見込み客は、圧倒的に「自分も演奏する」人が多くなった。ここは昔とは全く変わった。

「自分も演奏する」お客さんって得てして、演奏上のテクニック、すなわち上辺の上手い下手をチェックしがちで、まあそれはご自由にってとこだけど、いざ演奏する側がそこを勘違いしてしまうと、目先のテクニックや、彼らが演じるイージーなスタンダードの模範演奏なんかに演目が偏る、これは目先のビジネス(生徒獲得)としてはいいかもしれないが音楽の本質からはずれていて、いいこととは思わない。ライブ演奏は発表会やセミナーではない。演奏は中身がすべてだ。

ところがセミナーなほうに傾いていたほうがお客さんが集まりやすい、ワンステージ目にライブやって2ステージ目はジャムセッションという手法はまさにてきめんで、昨今はかなり支持されている。

時代が変わったのだから仕方がないのかな。

ならばどうするか。

そんな時代なんかシカトしてずっと今までどおりの姿勢で演奏を続けていくだけですね。

ジャズがもっと売れていた時代からわたしはビジネスな音楽やってないんで。

誘ってくれるかたもずいぶん少なくなりましたが、平日の昼でもいつでも引き受けられる環境は守っていきます。

もう時代の役目が終わった時計屋さんとか写真屋さんとか、でもちゃんと決められた時間にお店を開けるでしょ。

そういうもんだと思う。

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