元旦に有楽町で撮ったスナップのうちの一枚。こんな写真が撮りたいと思って歩くと、チャンスはあちらからやってくる。すべては心が映し出している。
2月。がんになって4年目の冬。こんな写真を撮っているところからみても心が徐々にまた音楽に向かい始めていることがわかる。人は辛いことを徐々に忘れる機能があるようだ。
3月。サバイバーズライブの数日後、今まで経験したことがない音楽に仕上がり、悦に入ったまま春の日差しを撮りに訪れたことのない町に向かった。この写真を撮ったあと、不意に彼女から再発の知らせが届き、写真どころではなくなって用事もないのに急いで家に戻った。すべては心が映し出している。
4月。牛久叙苑の桜。この場所は毎年家族の肖像が撮れるポイント。桜は家族を引き寄せる力があるのかもしれない。私は桜の花が咲くたびに死んだ母親のことを思い出す。すべては心が映し出している。
5月。心からキレイだねと思ってまたは感動して撮るとまるでその気持ちに答えてくれるように、このように綺麗に写る。薔薇に限らず人物も同じで、例えばそれはお年寄りでも同じで年齢は関係ない。キレイ、カワイイ、素敵、やはり全ては心が映し出すのだと思う。
6月。プチローズの店の前で演奏後撮影した衣装のままのこずえさん。街路灯の灯りだけでの手持ち撮影。写真はその人との距離を映し出すと言うけれど、心を開くのは被写体だけでなく撮影者も同じで、その瞬間の共同作業なのは音楽も同じだと思う。
6月に限っては気に入った写真がたくさん撮れていた。このようにどこか思い空気に囲まれた孤独感のある紫陽花の一面を毎年私は狙って撮っている。
6月。大洗海岸にて。このチャンスに出会ったとき、私はこの飼い主になりたいと羨ましく思った。だから撮れたのかなと思う一枚。やはりすべては心が映し出している。
7月。徹さんのお別れ会。今年は徹さんとの関わりから私の音楽は予期せぬ方向に変化していった。サバイバーズはそもそも徹さんとのDUOの予定で、それは私にとって夢のようなことだったけど、ちょっと先までその予定がのびてしまった。
8月。サバイバーズをソロで行うことになってしまった。厳しい現実やお別れが続いて、その心を試されているような、つまり音楽の信心が問われるような夏だった。写真は心を映し出すなら、その心は音楽のほうに出向いて留守になったのか、8月は写真そのものをあまり撮ることができなかった。 撮ったものも冴えないものばかりだった。
9月。横浜でのスナップ。写真はひとりで撮るもので、その”ひとり”が共有されるものなはずだけど、こういう景色に出くわすと、たまにとても寂しくなるときがある。
10月。ツアーでのスナップ。JR徳島駅に入場券で入構して撮影した。心を映し出している会心の一枚と思って自画自賛していたら、ふだんイイネをくれない有名な写真家の先生からふだんさりげなくイイネがついていた。映し出した心は共有する力を持っている。
10月のツアーの瀬戸内の現場。演奏を待っていたら気が遠くなるような、そしてすべてが終わってしまうようなすごい夕焼けがやってきた。
10月は写真が多い。この写真は今年最高のポートレイトスナップ。何度の苦難も乗り越えたサバイバーの大先輩の歌本番中を伴奏者の席からこっそり撮影した。拍手をもらうためでも成り上がるためでもない、ただそこに歌があり、歌うことは生きること、その喜びが写真に現れた一枚。
10月最後の週。コスモスは台風に弱く、今年は軒並みあちこちのコスモス畑は壊滅的だった。広々と先狂うこの畑も軒並み倒れていたが、それでも諦めない花の姿を撮影した。気がつくと勝手に空が背景の部分だけ夕焼けに染まった。すべては心が映し出している。
11月。いよいよ満四年の検査でがんセンターへ。ホスピス前の中庭は私が写真に目覚めた場所で不思議な写真が過去に撮れたところ。この日患者さんがスマホで何か撮っていたのがこれ。そのあと私も撮ったら不思議な光が映し出されていた。
11月の検査は無事合格でいよいよ残り1年で無罪放免なところまでこぎつけた。ふだんお料理写真なんて撮りもしないのに、だから下手なまんまなのに、合格直後の病院帰りの食事なんかを珍しく撮ったら、喜びがそのまま映ったような出来栄えだった。”心が映し出している”の典型例?
11月。お別れ会が同窓会になって故人は喜んでいると思う。今年は人にあまり会わなかったからか遺影写真あまり撮ってないけど、数少ないのがこの一枚。構図、被写体の表情、カメラの設定…、手ブレ補正なしで1/26で撮れてるなんて偶然だけど満足の一枚。
12月。どこか切ない景色に気がついて車を停め、地平線をわざと水平にしないで撮ってみた。水平のも撮って見比べたけど、こちらが断然、感じた心に近いと思った。映し出す心は定規で線を描くような単純なものではないようだ。
12月。この老舗ライブハウスに夢が叶ってはじめて出演したのは渋さチビズの新米ギタリストとして1997年。22年たってようやく自分の曲と演奏を聞いてもらえる日がやってきた。この一日がどういう意味を持つのか、ちゃんとしたジャズミュージシャンならわかると思う。長い時間だったけどやめなくてよかった。実に孤独な仕事だけど誰かが必ず見ている。音楽に向き合っていれさえすれば大丈夫、そう励ましてくれた徹さんがスピーカーの上に飾られた写真の中で聴いていてくれた。
12月。がん専門SNSのクリスマス会でいただいたプレゼント。5年目という意味の数字が刻印されている。会員がすべてがんサバイバーかその家族という性質上、どうしてもお別れがつきまとう。徹さん、アヤミ、高校の親しかった友人、プライベートでも大きな別れが今年は重なった。死を思うことは生きるを思うこと。今年はこの2つのことを思い、それを音楽に託し、ある意味遊びも手抜きもなしの演奏を行った。悲しい気持ちを誰かと共有し、残った者は意志を継いで誰かにまた託すまで生きていくということ。このように結論をつけた私の今年2019年が終わる。
いい音いい音楽。徹さんが教えてくれて、アヤミと2人実践した曇りない音楽。残念ながらサバイバーズはひとりになってしまったけど、このおふたりの思いはそのまま心に残って、幸い音楽を通じてのことだったので、音にも残った。この数ヶ月、聞く人はその音をイチロウさんの音と感じてくれていると思うけど、それは私だけの音ではないのです。
今年1年の私の写真とコメントはこれで終わりです。
1年に一度の更新になってしまっていてスイマセン。
フェイスブックは基本的に毎日更新してます。
入ってなくても見れるみたいなのでよかったらお立ち寄りください。
今年は枚数撮ってないかというと、3月にぷりんちゃんというオリジナルキャラをうちの奥様が創作したもんで、以降ぷりんちゃんを被写体にした写真がかなりの割合をしめておりました。ここでは省きましたが、フェイスブックでは惜しみなく投稿してます。「ひとりがんばっている人へ」「頑張っている人を応援している人へ」これがテーマだそうです。
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みなさま応援ありがとうございます♡
スズキイチロウ