みなさまこんにちは。
こんなに更新しなくって、あいつもしかして…?ご心配おかけしてスイマセン。
あれから って3月8日から放置してますからすでに5ヶ月、一体ワタクシ、どんな状態で何をしてたか。
「カメラ買っちゃった~♡」
3月のフンドシですでに使っているこのネタをそのまんま
しかも
「2台買っちゃった-♡♡」
2月に花室復帰(こんな声でもなんとか通用したので心底うれしかった)
3月に演奏復帰
4月も演奏あちこちやらせていただいて
5月にCT、つまり再発検査、合格。
6月末から念願のツアー復帰
7月なんとロシアツアーという神様からのプレゼント
そして今8月。
こんな感じです。
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まず身体のほうのご報告をいたしますと、副作用関連は
味覚
→100%戻りました。
髪の毛
→生えました(ただしくせ毛がくるりんぱになってしまった)
唾液
→これがまだ50%くらいでしゃべると口内ねっちょり
声がれ
→少しずつ改善しているように思えますが、音量が出ないので不便です。聞こえづらくってスイマセン。
喉の浮腫(むくみ)
→これは退院後現れた放射線の副作用らしくて、なかなか戻りません、変ないびきをかきます。下を向くと息苦しい感じ。
手のしびれ
→いちばん心配していた後遺症ですね、これはありません。皆様の念力のお陰ですありがとうございます。
あとこれは副作用でもなんでもなく、禁酒禁煙禁ストレス禁夜更かしの効果で
10kg近く太ってしまいました。太るということに一生縁がないと思っていたんですが、なんと現在この身長だと標準体重ど真ん中。
太ると体力つくのね、なので花室床モップも楽器担いで東京往復もなんのその、こんな楽な感じは10代以来かも。でも、お腹が火星人。
こんな感じで、概ね順調です。ありがとうございます。
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で、心のほうはというと。
実は昨日で発見されてちょうど一年になるんですよ。
つまりこの一連が始まって一年経つんですが…
遠い昔か夢の中の出来事か。
人間って本当に辛いことは忘れるようにできているのよね奥さま。
上記副作用があるだけで、これを差し引いてしまうと病気する前と一緒どころか、健康生活になってデブになって体力ついちゃったからむしろ病気とは無縁、あれってなんだっけ?という状態。
なので脳みそはもう治ったように誤解して動こうとしまして、ところが現実はステージlllの進行がんが見かけ上消えている経過観察の身分-このまんまで済むと思うなよこのやろうと、天国と地獄を一日に何度か行ったり来たりね、してるってわけです。
カメラ買っちゃった~♡
まだ飽きずにカメラ抱えてあっちこっち行ってるのはねえ。
ファインダー覗いてると追っかけくる死神は見えないから。
そう、ワタクシ経過観察、とくに出だし2年が勝負と言われているタイプのものなので、全力疾走で、カメラ抱えてダーッシュ シテマス。逃げ切りゃあいいわけなのでここは本気ですよ、長生きしたいんで命がけでのダッシュです。
ダッシュの勢い余って
2台買っちゃった~♡♡
追加したのはレンズ交換式、ああやってしまったカネ喰い虫。
ヤフオクやら中古カメラサイトやら、ダッシュのためのニンジンはレンズね。はっはっは。
ストレスは死神に追いつかれる絶好の餌ですから、悶々としたら、レンズや中古カメラね、富士フイルムのX30とか安いのでないかな-、これでストレス発散。それでもダメなら近くのケーズデンキにLumix-LX100触りに行っちゃおうかなー。
と、まるで小学生のようなはしゃぎぶりですが。
そういえば。
ワタクシ、楽器演奏を仕事にしてからというもの、趣味を仕事にしてしまったあげくに不安定な低収入。申し訳なくて趣味と呼べるものを一切持たずにきました。
ミュージシャンやるまえはいろいろやってたんすよ。
で、(しつこくてスイマセン) カメラ買っちゃった~♡
これはすなわち、20数年ぶりの趣味の復活。
趣味ですからヘタでよい、おカネになんなくてよい、自己満足でよい
はーよいよい
で、虫とか鳥とか花とか撮ってんの
覗いて押してるだけなんだけども、生き物相手だと
生命力をチャージ!、スマホの充電みたいにですね、虫や鳥や花からパワーが送られてきます。
この感覚、忘れてたんだよなあ。
子供の頃は知っていた、独身の頃、バイク乗って旅してたんだけど、これを求めて旅をしていた。
最近ロシアに演奏しにいきました。
これ本番前の楽屋で撮ったダンサーさんなんですが。
キレイなのは容姿だけじゃないんだよね。心がきれいでね。日本人も昔はそうだったんだよなあ。
で、虫とか鳥とか花とかと比較していいか迷うけど、同じなんですよ。オーラがね、同じ。
どうです、抗がん剤で頭がイカれたまんま、気の毒な文章になっているでしょう。
胡散臭いでしょう。
でも、ほんとうにそう感じるのだからしょうがありません。
花なんて名前も知らないし、今までなんか演奏後にもらっても持ち帰るの面倒だからあげてきちゃったりね。そんな男が、なんと花、お花ね、これに振り向いている。
イチロウさん可哀想に…
そうかもしれませんが、振り向いてしまうんだからしょうがありません。
知らぬが仏だから、雑草でも毒の草に咲いてるのでもなんでも気になれば振り向いてしまう。
さあお待たせしました、ここからですよ胡散臭いのは。
フンドシブログここにあり
—
花は私のために咲いているのではない
が、私を含めたこの世(世界)のために咲いているようには思えますよね。
私が「オヤ?」って振り向いたときに、その花は私と関わったことになる。
そのように、鳥も虫も関わっている。鳴き声がみんな違うのもおそらくは関わるために必要なのでしょう。
それが鳥なら鳥同士の求愛行為だとしても、それを見てよしオレもがんばるかっていう関わりだってあるよね。花を見て私もあの花のように美しくなりたいなんてね、トンボのように自由にとか、ナメクジのようにのんびりとかまあなんだっていいんだけど、興味を持った時点で、関わったことになるわけです。
では、関わるために鳥が鳴いたりセミが鳴いたり、花が咲いたり、これは誰の意志かというと、自分の意志ではないから話はどんどん胡散臭いほうに向くんですが、
私は言いたいのはそっちじゃなくて、というかそれが神様か宇宙の力か惑星開発委員会かの議論は専門のかたに任せるとしても、この力は、我々の身体の細胞が勝手に関わりあって連携して動いてるでしょ、その力と同じ出処(でどころ)じゃないかと思うんですよ。
自分の意志とは無関係に働いているよね。勝手に心臓が動いて息をして。死ぬまで勝手に細胞が関わり続けて協調しあって生き物は生きている。
関わろうとすること。
つまり、生きているというのはただそれだけで十分なのではないかと
同時に、死んだら関われない、逆も成り立つ、関わる関係がない状態、これを死というのではないか。エネルギーの平衡状態というか。
こんな経験をしてしまうと、自分の死というものをとても身近に感じてしまいますから。
演奏すると、このメンバーであと何回演奏できるだろうと、こんな縁起悪いことをふっと考えてしまいます。
この病気で使われる、5年生存率、実に嫌な基準ですがこんなもん目の前に出されて、治療しなければ余命は1年とか2年とか、なんと具体的な
で、私はどう捉えているかというと。
せっかく命拾いして今生きているので、長生きするつもりですが
2年も5年も20年もたいしてかわんないだろうと。
思ってます。
入院中はみんながん患者で、こんな書き方していいかわかんないのですが、けっこう厳しいかたもいるわけです。まさに一縷の望みにかけているようなね。
そういうかたはね、実に淡々としているんですよ。ふつうにしゃべって、これでダメなら多分ダメなんでしょうねえとかふつうに話すんですね。
それはすごくリアルでねえ。おそらくそれは、今月の年金まだ払ってねえなーって気にするような、そんな日常な感じで。
2年が5年でも20年でもというのは
それがどれであっても、どうやらやってくる日は予定してる感覚より早いから、今のうちから一応残せるものは残して、感謝するものはしといて、挨拶できるとこもしとこうかと。年金支払い気にしながら死ぬみたいだから、どうせろくな準備なしにその時は訪れるから。
やりたいことを優先して、余計なことは後回しにしちゃえと。
演奏もあと何回できるか、長生きしてずっとしていたいけど、相手もいることだし私がピンピンしててもってまあ人のことはいいか、年上のかたもいますから。
で、(くどくてスイマセンまたです)カメラ買っちゃった~♡
googleフォトなら無制限で保存できるよー
それはすなわち
私が死んでも、残るってことで。こんなただ覗いて押してるだけの画像なんか誰も見ちゃくれないけど、残るってことは
とりあえず安心するじゃないですか。
—
5月にこんな楽器が目の前にあらわれて。
これは、ロックのギターに混ざって売られていた。
セラックですよ塗装が。なんでこんな楽器がここに。
オレを救出してくれーと電波がビンビンに出ていて。
救出してしまった。
すげー安価で、でもなぜか誰にも相手にされなくて
花を見て振り向くのと同じ感性で、セラック塗装に振り向いた私。
明らかに作者がいてハンドクラフトなものと私は気がついた。
その作者の思いがにじみ出て、それが救出してくれー電波だったわけね。
つまり運命の出会い。
*後で調べたら作者は10年くらい前にがんで亡くなった県内の画家のかただったんですって。きれいなギターなのは美的なものもあったんだな。
これを持って、先月ロシアに演奏に行ってきました。
5月に墨田区で行ったイベントにロシアのダンサーさんが聞きに来ていてトントン拍子にうちでもやってよってなったらしい。
でもこれは偶然ではなくて、墨田区といえばプチローズ、和美さん、こういう人たち、我々ミユキタンゴという人たち、という人々の関わりがなければ成り立っていないんですよね。
関わりね。
ロシアの人とたくさん友達になれました。言葉は全く通じませんでしたが。
関われるのは、鳥や虫や花と一緒ですよ。人さまと比べて申し訳ないけど。
これらの写真ね。
私はみんな同じように感じるんです。どうですみんな素敵でワクワクするでしょう。
*関係者のかた、勝手に使いましたスイマセン。
—
さて。
ギターを弾くのが私の仕事、カメラばっかりやってねえで練習しろ練習、そんな声も(本当に)聞こえてまいりましたが。
鳥がピーと鳴いたり、セミがジージー鳴くように、私はポロンとギターを弾くだけ、たったそれだけでいいんじゃねえかと。
マジで思うようになってしまったから、これからどうなるんでしょう?
はっはっは。わかんなーい。
関わっていただいてナンボ、関わってナンボでございますので。
そのための基礎練だけは欠かさずにと。
あとはねー。
そのうち束になって響いてくるんじゃないかなーと期待してます。
もうリズムさえも、いらないような。
一枚の写真のような
そんなもんでいいんじゃないかな
って、そういう発想は芽生えたね。
入院中に見ていた景色は。リズムを刻まない。
ただそこに人がいて、いなくなって。また入ってくる。
生きているからここにいる人たち。
死を身近に感じて、ただの一人も泣いていないんですよ。
それは震え上がるような、鬼気迫るそして静かなエネルギーでした。
淡々と死を受け入れ、それでも生きようとする姿は、実に圧巻かつ自然です。
生き物は死ぬまで生きているようにできている。
片足しかないバッタだって、ぴょんと飛んで逃げるでしょ。
そういうふうに出来ている。
関わってさえいれば、それだけでいいんじゃねえか
心を病んだり痛めたりしやすい世の中で
私も病んだり痛めた挙句にこうなったんで
説得力あるでしょ
もういっかい言うと
ただ関わって存分に生きている、それで十分じゃないの
—
がんという病気の実体は
案外知られていないと感じます。
文字通り「腫れ物に触る」ようにがん患者を扱う人もいる、それもしょうがないです、私もそうだったし。病気というのは身内にいたりしなければわざわざ勉強する必要はない、それが健全というものだと思うんで、やっぱりしょうがないです。
痩せてこりゃダメだってなるのは本当の末期で、実はそうなるまでは案外ピンピンしていることも多いのよ。
抗がん剤打ったその足で職場に戻る人もいるんだよ。
ただ一度なっちゃうと、そうねミカンのカビとかみたいなもんで、そこだけむしって取ってもまた違うところがカビちゃう、そんな感じだから、もう絶対カビない=大丈夫=完治 ってのがないわけね。
しかも2度めのカビが一度目より厄介だったり防カビ剤がもう使えないから今度こそはナイフで削ぎ落とすしかないとか、そういうもので。
私は放射線をマックスまで浴びてきちゃったから、万が一もう一回こんにちわって出てきたら、今度は取るしかないんですよ。その時点で重度の障害者になってしまいます。
ある意味、死より怖いです。だって一人じゃとても生きていけない状態でまた誰かに迷惑かけるから、しかも死ぬまで。これは思うと気が遠くなって、鬱々して免疫力が低下して再発リスクが
つまり死神に追いつかれてしまうから。
カメラ抱えて、全力ダ~~ッシュ!
5年逃げ切れたらやつらは諦めるらしい。
逃げ切ったら、バケツにワインをドブドブと注いて、一気飲みしてやろうと思う。
そんなふうに、タバコもお酒も夜更かしも禁止になったけど
カメラとちょっとした自由と
眠っていた感性を
手に入れた。
人は他人を変えることはできないが
自分を変えることはできる
この事実もこうして手に入れた。これは大きいことだ。
もううんこ食べたような顔して悪役をやんなくてもいい。
その役は健康だからできたんで、タバコも健康だから吸えたんで。
迷ったら自分本位に
フェイスブックで写真を投稿するとき
こんな駄作、見ていただいていいのかと一瞬の躊躇
病気する前だったらおそらく迷惑と考え アップしてないな
もっと腕を上げてからにしたほうがいいと思ったはず
今は迷ったら、誰か面白いとか懐かしいとか思う人だっているかもと思ってアップさせてもらってます。
どうもスイマセンってヘラヘラしてます。
そうなんですよ
もうヘラヘラして生きてていい、時間があれば練習ばかりしてないで
カメラ持ってどこへでも行っていい
子供のころの私は家になんかいない子だったし。
うんこ食べた顔とも無縁で
へらへらしてましたよ。はっはっは。
そうなんだよね、未来のことはわかんないけど
明らかに残り時間を意識して
無駄を省いている。
—
皆様、応援ありがとうございます。
また、その節は全国からの念力をありがとうございました。
おかげさまで私はこのように、ぴんぴんしてます。
びんびんですよ。
なんといっても
(これで最後ねスイマセン)カメラ買っちゃった~♡
当フンドシサイトを放置している間、写真を中心にしまして毎日フェイスブックを更新させております。
https://www.facebook.com/kamedahouse
そんなことこそ自分のサイトでやれよという声がどちらのアドレスからも聞こえてきそうですが。
お世辞でも単なる付き合いでも写真ばかりはイイネがほしいんだもーん。
音楽はそうはいかないけど写真は素人の自己満足でいいんだも~~~ん 。
病気してから、同じ病気のかた、そのご家族のかた、克服した先輩がた、思いがけず多くのかたから声をかけていただきました。
その中で、写真も含めて、励みになるので続けてください、外出できないから代わりに撮ってきてください、治った人の情報が少ないからどうぞ活動をお伝えください、こんな声をいただいてます。
ちょうど一年前、鼻からスコープ突っ込んで見た私の喉に付着していた腫れ物と対面しまして、絶望のどん底に突き落とされ、柏のがんセンターで荒治療ののち、
一年後の私は今、こうです。
ぴんぴんして仕事復帰させてもらって、カメラ持って夏を追いかけて日焼けして真っ黒け。
がんの顔色なのかしら奥さま。違います単なる土方焼け。
がんは場所や種類や大きさによってみな個性が違うから、こうしたら私みたいになれるよよ、ましてこうしたら治ったよ、というのはないんですね。
なので、事実として
同じタイプのがんを抱えているかたやご家族の方の情報源になればと思ってます。
がんセンターで標準治療と言われる保険適用内の放射線と抗がん剤併用治療で、私にできてしまったステージlllの声門がんは本日時点では姿を消して、再発もなく退院から9ヶ月目を迎えています。
これが私の事実です。
今日は長いフンドシでしたねー。
しかもテーマがこれといってない。
誰もここまで読んでないと思いますが、もし読んでくれたあなた。
くたびれ損の内容で本当に申し訳ない。
なんか、深く考えるの、もうできなくなっちゃったかも。
はっはっは。
ただ、生きてるだけかも。
目の前のことをひとつずつって、例のスタンスで。
だから目の前より先のことが、見えてないのかもね。
目の前より先、2年?5年?20年?
関わりあえるなら、長いほうがいい。
でもどうかなー。
年金はちゃんと期日前に払うようにしよう。
死んでも死に切れなかったら、困る。
おそらくたかだかこんなことで化けて出るのかもしれませんからね。
入れ歯忘れたとか
iphoneの充電器とりにきたとか
血圧の薬どこだっけとか
化けて出る前にもうすこし って縁起でもない
長生きをして、まだみなさまと関わっていられたらと思ってます。
そのための音楽で。
いつまでできるかわかんないけど
そのために私は楽器を演奏している。
今私は、それだけを考えて
目の前のことをひとつずつこなしながら
ただ生きてるだけ なのよ。
で、生きてると、ああ生きててヨカッタと思うときがこのようにやってくる。
見てくださいこの長~い鼻の下。人生ってさ、わけわからん