ボーナスのようなもの

私も年をとってムリがきかなくなってきまして、それでもなお、やり続けるには?とここ数年考えてきました。

音楽が美であり芸術であるならば、バブル景気のようなものとは違うはずですよね。

同時に美とか芸術は、金儲けともまた違うところにあります。

気が弱ってきたときに読む本がワタクシありまして。気が弱っているときだけじゃないか、トイレでも読んでる。

jhall_book

この本は私がずっと読み返すバイブルのようなもの。ジム・ホールの教則本。

演奏が出来ること自体がボーナスみたいなもので、それ以上の見返りが必要かい?そんなことが冒頭に出てきます。

…。

ジム・ホールというギタリストは私がジャズを聴き始めたころ、地味でB級な扱いだったんですよ。

で、ずーっと、同じように、同じ場所にいて、同じレパートリーを、どんどん良くしていくという。晩年のほうが良いという。

なんか陶芸家みたいですよね。

美ですよ。美。

その美しく行き届いた音色は、色褪せることがないどころか録音技術の向上もあって、ぐんぐん良くなっていったような。

でも、若い頃の演奏と、晩年と、変わらない、一貫したものがこの人にはありますよね。マイルスは、音色こそ同じだけど、スタイルを時期によって変えてきました。それがない。

演奏すること自体がボーナスみたいなものなんでしょうね。違いは。

ジャズという音楽、エレキギターという一歩扱いを間違えると凶器になる楽器で、美というものを貫き通した人だったのだと思います。

ボーナスみたいなものと扱って演奏していたからか、マイルスが死んだ時は、すごく失望感があったんですが、この度は それがない。

またいつか聴けるような気がしませんか?

マイルスはマイルスでしかなかったけれども、ジム・ホールはたくさん美を振りまいて、我々の引き出しに配ってくれたんでしょうね。

ワタクシがジム・ホール?はっはっは、未だに、ずいぶん力んで乱暴なジム・ホールですが。

影響されまくってきました。

案外、あの人もこの人もジャズギタリストの多くがそうなんじゃないかな、しかも王道なスタイルじゃないタイプの人たちね。

…。

この教則本、面白いことに気がついたんですよ。譜面だけでなくいろんな経験や思い出も書かれているんですが。

いろんなミュージシャンの名前が出てくるのに。

ロリンズの名前が出てこないんです。

おそらく彼の共演者でいちばんのビッグネームがロリンズだと思うんだけども。

きっとあの演奏、ブリッジね、…ありがたいことに映像が残っていますね。
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イヤでイヤでしょうがないご本が想う美と違う路線の「仕事」だったんだろうな。

はっはっは。

筋が通ったジイさんだ。

ビッグネームにも流されず、ただただ自分の美を追求する、そんなことを我々はしていいのか、なんて入り口で迷っているようじゃ、もう遅いかもしれませんが。

この話、自分で書いておきながら、とっても私は共感するものがあります。

ボーナスみたいなもの、というか、天から与えられたものというか。

失うのは簡単で、やめてしまえばすぐにお別れですよ。

でもなんでここまでやせ我慢してもやっているか、この長年の答えがここにあるのかな。

演奏は楽しいだけでなく、美しいものでね。ただはじまって終わればいいってもんとはちょっと違う。

それは音色だけじゃないですよ、間であったり、リズムの谷間であったり、会話や呼吸であったり、空間であったり。

それらが一体となって美になるのでは?

ボーナスだから、良かれと思って付き合えるし。良かれと思うから、音楽も絵も陶芸も、芸術となる。ジム・ホールはここが新しかった、新しいタイプだったんです。

その「良かれ」は自分だけでなく、身内や共演者だけではなく、聴衆もすべてじんわりと巻き込んでいくわけです。

ここです。だから仕事ライクな音楽もただ楽しいだけの音楽も、それ以上になりえないのでは?という疑問の答えはおそらく。

美ですから、陶芸品のように、作者が死んでなお、そこに居るわけですね。

そんな不思議な気持ちですがジム・ホール好きのみなさんはどうですか?亡くなった感じがしないという実に不思議な感覚ではありませんか?

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…。

さて、来年はというと、イチロウカルテット路線をすでに用意したこと以外は、何も考えていません。早くみんなにチヤホヤされたり、難しくて出来なーいと言われるような新曲を書きたいな。最高のメンバーがワタクシの曲を気合と心を込めてやってくれる、まさに天から降ってきた贈り物ですから。

経済的にはレッスンに助けてもらって と考えざるを得ないから、こっちは地道にがんばります。こんな超ロングフンドシここまでお読みのかたはほとんどいないと思いますが、うっかり読んでしまったあなた、どうぞ応援をよろしくお願いします。その応援がワタクシの音楽寿命を伸ばします。

ネットなレッスンの到来を予感して

auひかりに乗り換えました。上り下り1Gbitよオクサマ。

デジタルの渦の中に音楽は単なるひとつのコンテンツとして扱われて、今苦しいですよね。でも時代の流れなんでしょうがないですね。

でも回線上ではまだ合奏は出来ないし、合奏を配信しても、本来の意味がないのは、ほんとうの美にならないから。

これはおそらくこれから先もそうでしょうからもうくどくど考えることはなさそうです。放っておけばいいかと。

レッスン関連はノウハウだからコンテンツとしては乗りやすいし意味も明確ですね、いつかもっと回線が速くなったら、もっと一般化するでしょう。

なので、出来ることのひとつとして、今から地道に積み上げていこうと考えています。ギターとPCと車の運転のこの3つだけは飽きずにずっとやれることなんで。
ノウハウは人に伝われば、後を継いでくれるかもしれませんから。

私の演奏は私にしかできないけれども。

ジム・ホールが我々に残したものを我々は自分なりに利用して、万が一でも何かが加えられたら、それをまた後の世代が利用する。

音楽の歴史、音楽のチカラです。

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