デザインがいいから

みなさまこんにちは。

いかがお過ごしですか?

ワタクシ、このサイトのフンドシブログを立ち上げるまで、MIXIでずっとフンドシ書いていまして、こっちに移行したのをきっかけにMIXIは「外部ブログが更新されました」という状態に設定していたんですが。

この設定にすると過去の日記が読めなくなるらしい。

複数のかたから、過去のMIXIフンドシがもう読めないのか と、誠にありがたいお言葉いただきまして、さきほど過去の日記が見れるように再設定し直しました。

さきほどMIXIのほうのフンドシをいつから書いているか確認しましたら、2005年からでした。

まだプライベイトな日記として書いていたんで人様にお見せする価値のないものばかりなんですが、その中でわりかし真面目に書いているものが数点ありました。
こうした過去のフンドシのいつくかを今の感想を加えて、たまにここで再公開することにしました。

今回は今からちょうど5年前、2008年8/11に記したものです。ちょうど北京オリンピックやっていた頃ですね。その内容も記されています。

今日は終戦記念日ですのでね。

 

–以下原文–
死んだ親父は大正生まれで(私は親父が40の時の遅い子)戦争世代だったからか、祭日には必ず家の前に日の丸をたてました。

子供の頃はそういう家もまだあったので気にしていなかったが、ここつくばに来てからは、うちだけ。ちょっと恥ずかしかったが、きっと思いあってのことだろうと。

親父が死ぬちょっと前に、この話になった。

なんて言ったと思います?

「日の丸のデザインが他の国旗よりいいから。」

だと。

親父が死んで遺品の整理をしていたら、タンスの奥から、えらいもんが出てきたと幽霊でも見たような顔でうちの奥さんが。

それはきれいに畳まれた、いろんな人の寄せ書き?がある古い日の丸であった。

親父は岩手の田舎から徴兵されたものの、結核で戦地に行けず、そのまま内地にいたと聞いたのも、親父の葬儀の時でした。

親父の同級生名簿には、同級生のほとんどが南方で戦死とある。

[ デザインがいいから ]

だと?

ウソツキオヤジ。

今、水泳で金メダルが。北島ぶっちぎりー。すげー。

北京に2つめの日の丸があがる。
かっこいいデザインと親父は言った。私はこの話を聞いた時にゾッとした。そして親子というのはすごいもんだと思った。何故ならそれは私がずっと思っていた日の丸の考え、これが一言一句そのものだったのです。
世の中には嘘でいいことがある、と私は思う。

 

タンスから出てきた問題の出征日の丸。葬儀後に本家の親戚に、「これ本家の仏壇とかに戻したほうがいいもんかね。」と相談したところ、帰ってきたコメントは。

「それは親父の青春の記念だ。おまえが持っててやれ。」

たいへん思い忍んだコメントだと私は納得した。

–以上原文 2008/08/11 –

 

そんなわけでこの日の丸は古いタンスの奥にあれからずっとしまってあるわけですが、本家が仏壇から何から何まで一昨年の津波でなくなってしまったので、結果的にあの町にあった我が親族の記録物になって意味を少々変えて残ってしまいました。今読み返しますと諸行無常、複雑な気分です。

 

当時の戦争と一昨年の災害を比べるのは違うというか、危険なことかもしれないけれども。

それぞれの想い、それぞれの場所、もしかすると、加えて

それぞれの時代、それぞれの時間

そういうことかもしれない。

…。

うちの両親は戦争を自ら語ることはありませんでした。なので私が聞くと、必要な分だけ渋々と話しました。
今、思うんですが。

300万もの犠牲者、民間人もたくさん巻き込まれ、原爆や大空襲でやられた我が国。

で。

これ、思想はないですよ、素朴な疑問です。

その疑問を書きます。
・なぜ、相手に仕返しをしようという恨み、それを後世に伝えようとする考えが、寸分もなかったか。
長年、ワタクシも生きてきましたが、今こうして気がついたわけです。

民族戦争は孫子の代どころか10代先くらいまでどうにもならないものという本を昔読んだことがあります。

先のものは民族間の争いではなかったにしても。

ワタクシ、2代目。

ジャズやってんすよ、マイルスの大ファンです。LivisのGパン(死語)です、ギブソンのギター使ってます。今Macで文章書いてます。

ね。
生きてきて、一度も、いつか仕返しみたいな話を聞いたことがないです。みなさんもないのでは?

私も当然、その考えはありません。
ここだと思うんです。

受け継がせないように、したんだと思います。
伝えない意志、伝えない覚悟。

そんな平和への願いの方法があるものなのか、あるんじゃないか。あったのではないか。

もうたくさんだと、政治家ではなく、国民が思った、これを伝えないことにより、遺恨もあの世に持っていく

覚悟だったのではないか。

だとすればこれは、たいへんな覚悟だと思いませんか。

…。
我々は、今起こっていること、特に原発問題を、一喜一憂して怯えながら見ています。そんなふうに毎日を送っています。
戦争と違って、終戦しました、終わりです ということが長い間ない予定です。
私の寿命よりも長くかかるらしい、つまり、死ぬまでこの問題と付き合うわけです。

これは今まで自分が計算したことのない遠く長い時間です。

終戦記念日に考えることではないのかもしれないけれども

親たちの世代が、ぐっと堪えて復興したこの国を、また変な方向に向けてはならない、

その前にやることがある。

原発は我々大人がうっかり作ってしまい、こんな大事故になってしまった。

しかし。

申し訳ないけれども現在は、死んだ父親が筋を通したように、経験者が伝えないことによって、どうにかなる時間の問題ではないですよね。

まだ終戦してないわけですから。例えれば、つまりまだ戦時中な状態ですから。

もし 伝えずに という方法をもしとるとしても、それはもっと先の、予定でいえば40年後に生きる経験者、今の若者や子供達が判断することです。

我々は事態の中に今まだ、2年半たった今でも います。

憲法を変えるのもすべてがNOとは私は思いません、今の時代にあったものにより良いものにするのは悪いことではないと私は思いますし、そもそもこの議論そのものがタブーだったことを思えば、みんなが着目し、考える、これは必要なことでしょう。

 

ただ。

ものには順序というものがあります。

今、力づくで変えたくて、もう自分の使命だ運命だとおっしゃっているのはいかがなものか。
それならば、もはや使い物にならない東電をどかして、原発事故を予定より早く収拾させるほうに苦心されたほうが、歴史にしっかり残って、

そのほうが、本人も国民も近隣諸国もよいと私は思うんですがいかがでしょうか。
今回MIXIで自分で書いてきた日記をはじめて一気に読み返してみたんですね。

2005年から書いていました。

けっこう時事ネタに触れていましてね。

世の中がどんどんアヤシクなっていくのが、時間軸で記録されていました。

んなもんだから、ワタクシの日記もそれに乗っかってどんどんアヤシクなり…。
そこに震災がやってきたのです。今なんとなく震災、特に原発事故からおかしいように感じてしまうところがあるけれど、震災が来たから一気にこうなったのではなく、まさに弱り目に祟り目のタイミングでやってきた。
ワタクシの日記では、第一次安倍政権、麻生政権あたりからそのネタは多くなり始め、民主党になってからますます増幅していました。つまり社会に対する不満ね。

そして

今はおいそれと時事ネタの日記を気楽には書けないムードにまでなっているような。

それはいけません。

ワタクシは絵に描いたようなビンボー人ですが、豊かかどうかよりもまず平和であることを願います。平穏であることを願います。残念ながら原発事故はとても長い付き合いになる運命のようですので100%平穏な状態は当面期待できないようですが、それでも願うのは戦後の日本人として当然のことと私は思います。
今日、終戦記念日、戦争経験者でありました亡き両親の思いを受け継いだつもりで、過去の日記を再掲載し、今の感想を書きました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です